日々特別
 
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■ネコはニャーでイヌはワン(旧にして改の改)(9/11)


■思うに、イヌが喋る時、

「ボクは知らないワン!」

となるのは何故だろう?

ネコだと、

「ボクは知らないニャー!」

である。

カバは、

「ボクは知らないカバ!」

とは云わない。

ゾウは、

「ボクは知らないパオーン!」

ではなく

「ボクは知らないゾー!」

と何故か名前を使う。

動物が喋る時の語尾が変化する。
こういうのはいったい誰が考えたのだろう。

もう少し例をあげよう。

サルは、

「ボクは知らないウキッ!」

ゴリラは、

「ボクは知らないウッホッホ!」

んー、感じは出てるがちょっと怪しい。でもまぁアリっちゃあアリだ。

これをアメリカのイヌにすると、

「ボクは知らないバウ!」

ヘンだ。
サブカル系雑誌を想起させる。

気を取り直して、

「ボクは知らないバウバウ!」

ヘンだ。

さて、下記サイトをご覧頂きたい。

「アジアの動物の鳴き声」
http://mariyot.ld.infoseek.co.jp/ompanim2.htm

これに倣うと、ベンガル語圏のイヌは、

「ボクは知らないゲウ!」

と喋ることになる。
なんか怖い。

カンボジア語圏になると、

「ボクは知らないウッ!」

喋ってる最中に刺されている。
実に緊張感が漂う語尾でウッ!

ニワトリ。
日本だと、

「ボクは知らないコケッ!」

である。

凄いのはモンゴルのニワトリだ。

雄鶏(オンドリ)は、

「ボクは知らないギゴー!

だ。雄鶏が「ギゴー!」と鳴くのは衝撃的である。
これを確認するだけのためにモンゴルに行ってみたいとさえ思う。

だがモンゴルの大草原は侮れない。

雄鶏以上に雌鶏(メンドリ)が大変なことになっているのだ。

雌鶏だとこんなことになってしまう。

「ワタシは知らないゴド ゴド ゴデェードゥ!

お前、いったい何者なんだ?

喋ってる最中に、口から得体の知れない凄いものが吹き出ている。
直視するのも恐ろしい物体が口から出てきてる、としか思えないのである。
それを浴びたら体が溶ける。溶解する。それくらいのものが出てきているのである。口から。マジで。ホンマに。

モンゴルの雌鶏には近づかない方が良い。うかうかしてると溶かされるぞ。

こんなモンゴルの雌鶏が卵を産み、それが育ち、中からとっても愛らしいヒヨコが登場しての第一声はやはりこうだろう。

「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」

ヒヨコじゃない。
なんか凄い生き物だ。
未知の。
その姿は見たことあるモノに似てるけど、総合的には完全に違う生き物だ。

見たことないグロテスクな生物。
巨大化。
地球征服。
人類皆奴隷。
そんなイメージだ。

そんなモンゴルの祭りの日には、やっぱりヒヨコが売られていたりするのだ。

子供はお父さんに「ヒヨコさん買ってぇ〜!」とか甘えてたりするのである。

お父さんはお父さんで、

「しょうがないなぁ〜。ちゃんと世話するんだぞっ」

「わーい! お父さん大好きぃ〜!」

と子供にデレデレだ。

実にうるわしい光景だが、実際の現場は壮絶である。5.1chサラウンドで、

「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」
「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」
「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」
「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」
「ゴド ゴド ゴデェードゥ!」

パニック必至。

それにしても強大な帝国を作った民族は、ニワトリの鳴き声からして違う。

ユーラシア大陸制覇も簡単だったに違いない。

※しっかし、征服された国の人も、アレが雌鶏の鳴き声の真似だと知ってたら征服されなかったのにネ!(違う)

 

■偶然だけれど意味はある(7/18)

■世の中には「偶然そうなっちまいました。だから意味はないんですよ」という事が多い。

と云うよりも、世の中は偶然を材料にして作られているようなもんだ。

だから、ちょっと気にしてモノを見れば、偶然が何かのストーリーを紡ぎだしている事がたくさんある。

例えば、とあるサイトで見かけた新着カラオケの並びがこうだった。

結婚しようよ
それでいいのですか?
CALL ME,BEEP ME!
冷たい花
どうにもとまらない
今夜だけきっと
アゲハ
セロリ
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
雨のウェンズディ

どうしてこういう並びになってしまったのかはよくわからないが、とにかくこう並んでいた。

「結婚しようよ」の次が「それでいいのですか?」だ。

ついつい「結婚しようよ」と云っちゃったけど、内心「それでいいのですか?」とも思ってしまっている男心と読み取れる。

視点を変える。

交際半年で今が一番イイ時なカップルが公園のベンチに。
そこで男が意を決して女に云う。
「結婚しようよ」
少しの沈黙の後、女は恥ずかしそうな笑顔でOK。

その返事に男は人生の一大事を成し遂げた達成感で満たされている。
本当はこれからやらなければならない事が山積みという現実もあるのだが、この瞬間くらいは楽しませてあげたい。

そんな全体的にOK!ムードなところに、通りがかった初老の男がやって来てこう云うのだ。

「それでいいのですか?」

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偶然の紡ぎだすストーリーは意外と形を成しているわけで、実は偶然じゃなく必然なんじゃないかと思ったりする。
必然は人間の手によって作られるが、偶然は神の世界だ。

「どうにもとまらない」
「今夜だけきっと」

今夜だけきっとどうにもとまらない、と予告調なのが凄い。

「今夜だけきっと」なのだから、明晩も明後日の夜もどうにもとまらなくなってても不思議じゃない。油断はできない。

きっと、って一応断ってるから、今後一週間連続してどうにもとまらなくなってても、これはしょうがない。ある意味、開き直り臭い。

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「今夜だけきっと」
「アゲハ」

「今夜だけきっと」は使い勝手がイイ。下の「アゲハ」とも難なく繋がってしまう。

しかし「今夜だけきっとアゲハ」ということは、普段は蛾とかなんだろう。

蛾とかなんだろうけど 「でも見て! 今夜のワタシはきっとアゲハ!」って感じだ。

きっと、というフレーズが入るだけで、ストーリーはぐっと深みを増す。
そのフレーズひとつで、「ワタシ、アゲハのはずだけど、もしかするとアゲハじゃないのかもしれない・・・」という含みが読み取れるわけで、これは意外と深い。

もう蛾であることが身に染み付いてしまっていて、今夜だけアゲハにしてもらってるのに信じ切れない自分、みたいな。

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これが三連続になると急激に複雑度が増す。

「どうにもとまらない、今夜だけきっとアゲハ」

どうしたいのか全然わからない。

今夜だけはどうにもとまらない勢いでアゲハになったけど、もしかしてもしかすると蛾のまんま? みたいな。

本当は自信がないのだ。鏡で確認してもアゲハなのに、そんな自分が信じられない。蛾であった時間が長すぎた、って感じだ。切ないね〜。

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「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
「雨のウェンズディ」

この並びは場面を物凄く限定してる。
ドラマの場面設定か? という勢いだ。

これは横浜や横須賀の港にいるヨーコの物語だろう。
ヨーコという書き方からすると、ヨーコは60〜70年代のちょっとやんちゃな女の事だ。
そのヨーコは毎日のように仲間と横浜や横須賀の港周辺に遊びに行っているが、何故か雨の降る水曜日はアパートでひっそりと過ごし、仲間の誘いにも応じないのである。
その理由はドラマの最終回に明らかにされるのだ。

なるほどねー、そんなストーリーなのかー(違う)。

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最後に、全部を並べ替えてみよう。

これは並べ替えたので偶然とは呼べないが、これはこれで文字列からストーリーを感じ取る手法として有効だろう。

「雨のウェンズディ」のことだった。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で、「どうにもとまらない」男から、「結婚しようよ」と云われ、「アゲハ」のとまった「冷たい花」を差し出された。ヨーコは嬉しかったが、謎の老紳士に「それでいいのですか?」とイイ気分に水を差され、「今夜だけきっとCALL ME,BEEP ME!」

えっと〜「セロリ」どうしよう。

 

スーパーサイズ・ミー
スーパーサイズ・ミー

マクドナルドを1日3食30日間食べ続けるとどうなっちゃうの? を監督自身が実験台になって挑戦したドキュメンタリー映画。

まぁ、毎日同じようなものを食っていれば体に悪影響がでるのは当然。
マクドナルドを悪玉役にするというほうが、挑戦的だなぁ〜、と思ったりする。

基本的には食べて検査をやってアメリカの食生活の異常さを並べたてているだけ。
結末は最初から見えているので、予定調和に向かって時間をこなしている気分にもなる。まぁ、編集頑張ってる(良いという意味ではない。文字通り頑張ってる)のでなんとか見られるが、結構ダルい。

ビッグマック男の存在は面白いが、監督の主張せんとするところとは正反対な存在。公平と云えば公平だろうが。

60分のTVドキュメンタリーであればもっと見ごたえがあったんじゃないか、という1作。

2004年(米) モーガン・スパーロック監督

 

■○○した時に、○○を○○させない装置(7/5)


■結構前に拾ったネタだが、

飲酒した時に自動車を発進させない装置、米国で導入進む

という記事があった。

記事の内容に関しては、リンク先を見て頂くとして、気になるのは「○○した時に、○○を○○させない装置」である。
あー下らないことが気になってしまった。

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「○○した時に、○○を○○させない装置」
「帰宅した時に、鍵を開錠させない装置」

あー疲れたー、と自宅に戻ってきて、ポケットの鍵を鍵穴に差し込んでグルッと回すが鍵が開かない。

アレ? おかしいなー、もしかして外出する時に閉め忘れてたのかも。

よくある事である。

危ない危ない、ちゃんと鍵が閉まっている事を確認しないと。

ということで、もう一度鍵を回してみる。

開かない。

当たり前だ。

「帰宅した時に、鍵を開錠させない装置」が入ってんだから。

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「○○した時に、○○を○○させない装置」
「猪木の真似をした時に、アゴをシャクレさせない装置」

アントニオ猪木の真似となるとネコも杓子もアゴをシャクレさせる。
プロも素人も春一番もだ。

これでは切磋琢磨がない。

シャクレなしで猪木を真似る。
これぞ本物だろう。

そんなアナタに「猪木の真似をした時に、アゴをシャクレさせない装置」を提案したい。

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「○○した時に、○○を○○させない装置」
「興奮した時に、心臓をバクバクさせない装置」

議論が白熱して頭に血がのぼった時、心臓がバクバクしてる自分に気がつく。

これは結構恥ずかしい。

誰も気づいてないだろう。でも心臓がバクバクしちまった自分の肝っ玉の小ささにうなだれる。

議論の相手の顔を見ても、どうもバクバクしてないようだ。
なんだか自分が器の小さい人間であるかのように思えてくる。

もしかしてアイツもバクバクしてるのかもしれないが、それは確認できない。
アイツのバクバクは想像で、自分のバクバクは確かな現実だ。

「ちょっと失礼」

なんて云いながら、相手の胸にそっと手を置いてみる。

そんな大胆不敵な行動に出られるならば、そもそもバクバクなんてしないはず。

こういったバクバク人には「興奮した時に、心臓をバクバクさせない装置」がうってつけだ。

興奮してもバクバクしない。そんな自分に自信が持てます。

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「○○した時に、○○を○○させない装置」
「汗した時に、眼鏡をズレさせない装置」

いちいち指でソッとあげればいいものを、わざわざ装置を使ってズレる事すら許さない。

装置は眼鏡のツル部分に装着されており、最先端のテクノロジーを駆使してズレる事を許さないのだ。

ズレたら自動的に戻る、といった安直な装置ではない。
つければズレないのである。これは凄い。

その徹底っぷりはテクノロジーの意地すら感じさせる。

眼鏡を外そうとしても外れない。
外すその瞬間がズレと判断され、装置によって巧みに制御される。どうしたってズレない。
眼鏡が割れようがなにしようがズレない。

ズレない事に命をかける。
誠実さを絵に描いたような装置である。

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○○した時に、○○を○○させない装置

あなどれません。

 

デビルマン
デビルマン 人間は庇護(まも)るに
たるべき存在か。

70年代を代表する人気漫画「デビルマン」を完全実写映画化。

制作発表時点で期待していた映画であるが、公開前後から雲行きの怪しい感想が凄い勢いで聞こえてきて、そのまま「前代未聞の駄作」という評価がほぼ決定してしまった、という稀に見る映画。

で、まずは誉める点。

・デビルマンの造詣がカッコイイ。実際にデビルマンが動いてるシーンは非常に少ないが、造詣としてはカッコイイなと。

・アクション・シーンの作り方が面白い所がほんの少し。

まぁ、こんなところでしょうか。

あとは普通が少々あって、それ以外は低レベル。

パッと目に付くのは役者の演技がかなり大根。主人公の2人のセリフの棒読みっぷりは、アイドルドラマではなく映画としては驚異的ですらある(モー娘。出演の典型的アイドル映画「ピンチランナー」をも超える)。
その主人公たちの棒読み磁場に吸い寄せられたのか、周囲の役者も大根化していってるので目も当てられない。

CGに関してはとりあえずあんなもんだろうと。

カメオ出演がやたら多いのも気になった点。正直、違和感ありまくりの人選が多いのと、軽いノリの演出をカメオの部分に集めてしまっていて、冗談ぽい物語になってしまっている。ボブ・サップなんかは意外に露出が多くて冗談が過ぎてるように見えるし、小錦の登場する場面もかなり違和感ありまくり。

んまぁ、そうした数々の駄目の根源となっているのは、どうなってんの? という脚本。多分、元々の脚本は出来上がったもの程ひどくなかったんだろうと思う。シーンの繋がりもオカシイし、セリフも意味不明なものや矛盾したものがゴロゴロ、という映画とほぼイコールな脚本だったら、読んでる時点でヤバいってわかるハズ。

となると、現場に足を引っ張る要素がたくさんあって、結局はこんなことになってしまった、というのがオレの想像。

2004年(日) 那須博之監督

 

スチームボーイ
スチームボーイ 僕は、未来を、あきらめない。

「AKIRA」以来となる大友克洋監督長編作。

舞台は、19世紀半ばのイギリス。
スチーム・ボールという蒸気を延々と吐きだす謎の物質を巡る冒険、みたいな話なんだけど、なかなかダルい。

話がダラダラしていて、声優も大根だ。

これでワクワクしようというのは相当無理があるわけで、絵もよくできてはいるがちょっと古いな。いまさら感がにじみでてしまっている。

制作期間9年というのがネガティブに働いた作品。

2004年(日) 大友克洋監督